【テスト】やがて朝がくる [01] 1章(前編)

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幕が上がる。観客で埋まった空間が広がり、舞台の上の私を飲み込む。

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すごい活躍だね、と課長に声をかけられ、笑いながら無言で頭を下げた。活躍している、注目されている、と社内で言われることが嬉しくないわけではないが、高揚感はない。同じようにやれば、他の誰かでも同じような結果は得られると思っているし、少しぐらいの失敗は後からいくらでも挽回ができる。観客の前でやり直しはきかない。他の誰でもよいというわけではない。その場所のその瞬間にしか、存在しえない手応え。テレビドラマや映画よりも、演劇に惹かれたのは、そういうところだと思っている。会社の仕事の淡泊さは言うまでもないが、性格上、手を抜くことなく真面目に取り組んでいる。

「〇〇は、いつも最後まで残って練習していたよな」

学生時代の昔話に花を咲かせて、居酒屋で飲む。いつものこと、いつもの話。同じ話をしたのは、これで何度目だろうか。同級生と過ごす時間が楽しくないわけではない。声を上げて笑いながら、一緒に盛り上がる。でもこれも、何度でもやり直せる時間。

下手だったからね、と答えながらビールジョッキを傾ける。実際、他の部員と比べて実力が無かったのだが、上手くなりたいという気持ちで毎日練習に明け暮れていたわけではなかった。向上心を持って研究を重ねて練習メニューも考えていたが、上達して役を勝ち取ろうという気持ちからではなかった。いまの会社でも出世欲はない。ただ、打ち込んでいたかった。一つのことに集中して、研ぎ澄ます。だんだんと鋭くなっていく自分を感じていた。いまの自分には尖った部分はあるのだろうか。磨くべきところはどこなんだろう。切れ味を失い、錆びていく自分を感じる。

解散してから、一人で飲む店を探した。普段そういう習慣がないから、どこに行ったらよいかわからない。駅から近いバーの前で声をかけられ、入った。仕事の成功を祝いたい気分だった。学生時代の友人には会社の話をしてもしょうがないと思い話題にしなかった。昼間課長に褒められた時も感情を表に出しはしなかったが、自分にご褒美を上げたい気分だった。

店内はカウンターで十席くらい、右端の席が空いていたのでそこに座った。他の客は二人、二つあいたところに女性が一人と、左端に男性が一人いた。二人ともバーテンダーと会話している様子から、常連客のようだった。バーテンダーお勧めのウイスキーをロックで注文した。

ウイスキーをちびちび飲みながら、顧客からの御礼のメールの文面を思い出していた。この半年、一番スケジュールがタイトだった時期は、徹夜もした。会社に泊まった日もあった。チームのメンバーが、今日はもうこのくらいでいいだろうという時も、終電までねばり、資料の仕上がりに納得いかないで朝まで推敲を繰り返した日もあった。一見どうでもいいと思えるような、ささいな、小さなところに、徹底的にこだわる。神は細部に宿る。演劇をやっていたときに聞いて、気に入っている言葉を会社でも実践している。顧客からの信頼、評価は、それによって得られたと思っている。

グラスが空き、バーテンダーに声をかけられ、同じものを注文した。飲みやすいウイスキーだった。バーテンダーが新しいグラスに氷を入れウイスキーを注ぎ前に置いたとき、隣の女性が話しかけてきた。

「グレンリベット、お好きなんですか?」

知らない人と会話するのは得意ではない。酒に詳しくないとバーテンダーに相談して選んでもらっている様子が聞こえていたはずじゃないか、バーの常連客と親交を深めるつもりはない、といったことを考えながら、笑顔をとりつくろって、そうですね、おいしいです。と答えた。女性は、私も好きなんです、とグラスを持ち上げて見せた。同じものを飲んでいる、ということだとわかった。無言で笑顔を返して、それで会話を終わらせるつもりだったが、質問は続いた。この店は初めてですか、などといった内容だったが、バーテンダーも一緒に会話に混ざり、無視したりやり過ごしたりできない空気になったので、会話を続けた。店に入ってからさきほどまで見ていなかったのでわからなかったが、歳は同じくらいの、二十代後半、隣の席に、カメラを置いていた。一眼レフだった。

その女性は、写真家だった。これだけでは食べていけない、と言っていたが、別に職を持って趣味でやっているというのではなく、アルバイトもやっていると言っていたが、写真が職業だった。それを聞いて興味がわいたが、特に深堀する質問はしなかった。

会計をすますと、バーテンダーが名刺を差し出した。北野という名前だった。また来るかどうかわからないと思ったが、初めての経験だったので、丁重に受け取った。女性も名乗った。中沢瞳という名前だった。

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会社からの帰り、最寄り駅近くの家電量販店のカメラ売場に来ていた。

昨夜中沢瞳に見せてもらった写真が、帰ってからも今朝から仕事中も、ずっと頭から離れなかった。

湖の写真だった。見た瞬間、研ぎ澄まされている、と感じた。わずかに波だった湖面の透明感、木々から感じる流動感、葉の緑、空の青。その時間、その空間を、丁寧に切り取った、それでいてその瞬間を逃すまいとする大胆さも伴ったものだった。言葉を失い興奮した。いい写真ですね、の一言しか言えなかったが、記憶にとどまった。これは上手く撮れたと自分でも思ってるんです、と恥ずかしそうに笑う中沢瞳の笑顔も記憶に残っていた。

高いカメラを買えば良い写真が撮れるわけではないと頭ではわかっているつもりでも、良いカメラを持てば、自分でもあのような写真が撮れるようになるのだという期待を持って、カメラ売場までやってきた。

コメント

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